高野山(和歌山県) |
寺院 |
時間 |
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9:08 |
金剛峯寺駐車場に到着をする。駐車場も混雑の兆しが出始めている。運よく入れたのは幸いです。手荷物を用意していると、もう駐車場を出て行くのかと勘違いした後続車がずっと待っている。「今止めた所なんですよ〜。」
さてさて どこからどうお参りしたら良いのでしょう。偶然通りかかった御坊様に八十八ケ所の〆のお寺さんで高野山詣でに来たことを話すと、とても親切にいろいろを教えてくださった。奥ノ院からと言われたので、その足で、奥ノ院へと車を走らせる。
ナビがまたまたとんでもない細い車道を案内するので、止めて、近くにいらっしゃった方にお話を聞く。おそらく尼さんだと思います。先程偶然お会いした御坊様以上に詳しく教えてくださりました。 |
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奥
ノ
院
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9:26
〜
10:40
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尼さんと思しき方の話を要約すると
@この道は奥ノ院には行かない。こちらが正しい道です。
A弘法大師様は、ここ高野山へ詣でろと教えを諭していない。
B88番札所へ参拝したら、1番札所へお参りをして八十八ケ所遍路の〆にして良い。
Cここ高野山へわざわざ来て無駄な出費をしない。
Dガイドブックや納経帳に沿って高野山へは、商業目的が多分にある。
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もっとお聞きしたように思うのですが覚えきれていない。箇条書きにすると随分鋭い説法のように聞こえてきますが、親身になって諭すように話してくださり、立ち止まってお聞きしたことが良い出会いと思えました。 |
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奥ノ院 弘法大師の御廟を中心とする大師入廷の聖地。石畳の参道には名だたる戦国武将の墓や文人の句碑が並んでいる。奥ノ院では、四国八十八ケ所と同様に納経後に御朱印がもらえる。 |
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金剛峯寺 高野山真言宗の総本山で高野山全体の宗務を統括する。金剛峯寺の名称は弘法大師が命名されたもので高野山一山であった。現在の建物は豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立、更に文久三年再建された。<パンフレットより> |
金
剛
峯
寺
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10:45
〜
11:35 |
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尼さんの説法 |
説法を聞きながら 頂く |
「こうやくん」と一緒に |
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遍路八十八ケ所を打ち終えた後に、高野山奥ノ院御廟で、手をあわせ無事に旅を続ける事が出来た私達の身の感謝をする事が出来て安心をしました。納経帳には金剛峰寺の朱印を頂くページは無く、空いているページに御朱印をもらう。密やかである。高野山まで詣でて「結願」とする考え方があると言うのが、分かったような気がする。これで旅の締めくくり、遍路の締めくくりが出来たと思える。 |
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納経帳 |
金剛峯寺の御朱印 |
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↑ 御本尊御影保存帳 ↓ |
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12:34 |
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帰路へ
京名和道路⇒名阪道路はスイスイ走れましたが、伊勢道路に合流して東名阪道路から名古屋を抜けるに大渋滞でした。
東名阪道路での大渋滞では、ついに主人は高速を下りて、一般道を走ることにしました。鈴鹿ICで出ました(^^) なんと!なんと!下も同じに渋滞で、またまた高速に戻ったのです(大笑)。戻って乗ったICが四日市でした。 |
22:50
着 |
旅は「出かけて無事に帰ってこそ良い旅」と言えますから家に無事に着いてほっとしました。
長旅の記録を始めて完結までに1ヶ月半かかりました。遂に年越しをしてしまいました。約10日間も旅を続けることが出来たのは、退職という条件がプラスされての事です。今の境遇に感謝です。
来年は、さて!何処へ? あらまあ〜!もう年を越して平成26年ですね。行きたい所は沢山あります。健康を維持してのんびりぶらり旅を続けたいと思います。備忘録が本来の目的ですが、最後まで見てくださってありがとう ございますm(__)m
合掌(^o^)(-.-)(__) |
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