長野県 馬籠〜妻籠〜大妻籠中仙道 馬籠峠801m 

     行 程
山行日 平成18年11月3日(金)〜4日(土)
大妻籠
天 気    
 ⇒高速  → 一般道   …歩き
 AM4:50自宅発→松井田IC5:33⇒佐久5:54→新和田料金所6:42→岡谷IC6:58
 ⇒中津川IC8:33→大妻籠9:00
 大妻籠(バス)→馬籠宿(下)10:40 
 馬籠宿発AM10:45…馬籠高札場跡11:00…水車塚11:22…明治天皇小憩記念碑11:50
 11.54…馬籠峠11:59 12:05…一石栃 白木改番所跡12:20 12:50…女滝・男滝13:17
 13:25…石畳道13:40…大妻籠 民宿つたむらや13:50 14:00…妻籠宿14:17…えのき
 お茶15:20  15:30…大妻籠 民宿つたむらや16:13
 民宿つたむらや9:30→南木曽駅(なぎそえき)→国道256線木曽師の里,木曽檜木創(店名)
  →天竜峡→飯田IC⇒駒ヶ根IC→佐久IC⇒松井田→自宅18:00

木曽路は馬籠から桜沢(塩尻市)まで20余里。昔は2泊3日で歩いたという。

馬籠宿 木曽11宿の一つで最南端に位置する。美濃との国境にある。急な坂道の両側を石を積んで家を建て、宿場の中央には本陣、脇本陣、問屋などがおかれて大名達の宿泊に備えられたほか旅籠や飯屋が軒を並べていました。
文豪「島崎藤村」のふるさと馬籠宿は、山の斜面に沿った全長600m余りの【坂に開けた宿場】です。
妻 籠 江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともよばれていました。中仙道六十九次の内、江戸jから数えて四十二番目となる妻籠宿は、中仙道と伊那道の交わる交通の要衝として古くからにぎわいを見せた。大小の旅籠が31軒も並んでいる。復元工事がおこなわれたものの江戸時代の宿場がそのまま甦る。タイムスリップの旅が妻籠の魅力である。


10月に入って、私は咽頭炎から喉頭炎になり、声帯を悪くし嗄声になり3週間、やっと快方に向かい声が出てくるようになった。病気から開放された途端に、どこか泊まりに行きたい。三食出てくる日を過ごしたい…。我儘ですね
泊まるだけでは勿体無い。歩こう!そんな訳で、馬籠宿から馬籠峠を経て妻籠宿への中仙道を歩くコースに決めた。大妻籠に宿をとったので車を預け、出発は大妻籠バス停からバスに乗り馬籠宿に行き、馬籠峠に向かって歩き出す。

大妻籠バス停AM10:22 馬籠宿AM10:40@ 車屋坂AM10:42 AM11:00
馬籠宿入口のバス停@から歩き出し、【高札場】Aの辺りまで登ってくると、宿場を見学する人と、峠越えをする人に区別される。賑やかな馬籠宿は、お洒落着の人達ばかりで、私達のリュックスタイルは場にそぐわないでちょっと恥ずかしかった。
【高札場】
今日で言う「官報掲示板」江戸時代の姿を復元してある。幕府が庶民に対し、禁制や法度等を示したもの。お上のご威光をそのままに、人々を見下ろすかのように高札が揚げられている。

AM11:00 高札場A
高札場のある広場からは恵那山が見えるというので期待したが、霞んでいて見えなかった。皆がのんびりと暖かい日を楽しんでいる
左のような標識が500m進むと立てられている。
妻籠宿○○km馬籠宿○○km、その合計は、いつも7.7kmである。
広場から丘を少し登り、下ると車道に出る。その手前で前を行くカップルの男性が突然引き返してきた。ドウシタンダロウ?
主人『あれは喧嘩だぞ』ちょとはらはらしながら進む。車道を横切り、中仙道と書かれた標識と↑の標識のあたりで男性が戻ってきた。女の子のショルダーバックを持ってあげている。女の子は、ひとつも荷物を持っていない。『ほら…喧嘩だっただろう。』
よいではないか、こんなうららかな日、喧嘩も仲良しの証拠★
水車塚AM11:22 ←同じ場所の石碑
★先に進む、軽い登りをすると『コンニチハ♪』外人の女性に声をかけられた。赤いTシャツにズボンが似合っている。追い越された、足が長いなあ〜。ウエストは私の胸ぐらいだそ…もっとも、私の足が短いのだ。
車道を越えると水車塚である。バーベキューをする家族がいた。傍らに可愛い石碑を目にする。
ここで隣を行くご夫婦に気が付く、これまた、ご主人が殆どの荷物を持っている。奥様をいたわりながら歩く様子が良くわかる。あとから分ったのだが同じ民宿で一泊をした。
峠集落 明治天皇小憩記念碑
AM11:50
<馬籠峠>
標高801mの峠で、峠の碑や正岡子規の句碑が立っている。休息に絶好の茶屋もある。先程のご夫婦とは別の夫婦、私達と同じ位の年齢に見える。峠にほぼ同時に到着。
写真を撮りあい楽しさを共有する。
馬籠峠 AM11:59 12:05
<立場茶屋の風景>
茶屋の風景の背中側には白木改番所跡がある。
賑やかな親子と、両親の親おじいちゃん、おばあちゃん達2組が昼食をしていた。辺りは紅葉が素晴らしい。

ここでお昼にする。弁当は、大妻籠に入る途中の道の駅賤母(しずも)で買った。★
★とても「しずも」と読めなかった。意味=身分の卑しい人 悲しい響きの言葉である。
<一石栃
白木改番所跡>
木曽五木(ひのき・さわら・あすなろ・こうやまき・ねずこ)をはじめとする伐採禁止木の出荷統制を行っていた。
<立場茶屋> 宿と宿の中間にある休憩所のこと           一石栃 白木改番所跡AM12:20 12:50
お昼も食べたし、また歩きましょう。少し下るとさわらの古木が堂々と立っている。樹齢300年、胴回り5.5m、立木41m、風呂桶を作ったなら300個などと標識に書いてあった。このさわらの大木は何だか顔に見えるのだが…?★ ★バス停「峠入口」の車道を渡るとまた山道の中仙道に入る。ホオノキの枯れ葉が沢山落ちている。正面の黄色くなった木はなんだろう。
紅い落ち葉と白いホオノキの葉が優しい道にしてくれている。
あらっ!私の足の影、長いぞお〜。この位長かったらさっきの外人さんに負けないのにね(^^)■
■男滝・女滝は、吉川栄治「宮本武蔵」の舞台となった滝である。武蔵とお通が結ばれる滝としても有名。
滝つぼには金の鶏が舞い込んだという倉科様伝説が伝わっている。
滝つぼから上がるしぶきが涼しい、時には冷たくさえ感じる。
ここにて妻籠峠で一緒になったご夫婦と会う。「写真を撮りましょうか」…同じ言葉に、私達もニコニコです。
男滝・女滝 AM13:17  13:25
B      C       
滝をみて橋を渡り、山道を歩くと倉科祖霊社をすぎると標識は妻籠宿3.1K馬籠宿4.6Kとなっていた。距離の比が、中間地点を過ぎ、妻籠宿に近くなてったいた。屋根に石を沢山置いた家B、石畳の竹林の道杉の道Cと楽しませてくれる。<杉並木>日差しが差し込んでおもしろい風景なのに写真はOFのみで撮っている。少し勉強しないと綺麗な写真が撮れないと思う。この道を過ぎると車道である。その先は、大妻籠であった。到着である。自分の足に感謝をする。いつも思う事、健康のありがたさは何物にもの勝る。ありがとうm(__)m
宿泊の民宿に着いたがここから妻籠宿まで歩くか、車にするかちょっと迷う。既に7Kは歩いている。大妻籠から妻籠まで片道2Kである。往復4K。今日の目的は【歩きたい】である。よし!歩こう。…しかし、足はもうバテぎみだ。

えのきや15:20
<妻籠宿>
とにかく人・人…少ない時をねらってシャッターを切るのが難しい。
朝、到着した時に写真だけ撮っておけばなあと…「後悔先にたたず」

<完歩証明書>
妻籠宿、馬籠宿に宿泊した人で、妻籠⇔馬籠間をハイキングした皆に、完歩証明書を発行してくれる。
(中山道整備協力費として、1部¥100)
宿泊施設にて妻籠⇔馬籠ハイキング券を受け取り、ハイキング終着の観光案内所
馬籠・妻籠のどちらでも引換に、桧(ヒノキ)で作られた完歩証明書が受け取れる。

小さいけど檜の薄い板に書かれた、とても立派な証明書です。大事にしよう(^^)
 妻籠観光協会 にて証明書を発行してもらう。
参考HP 馬籠観光協会   
    
今日の宿は【民宿つたむらや】 出発、前日の電話でしたが、大妻籠はちょっとした穴場のようです。
妻籠観光協会にお世話になって決まった。協会の方がお勧めの宿でした。車を一日止めたい意向も取り入れてもらい、この宿にする。
民宿は、秋篠宮紀子様が宮様になる前に泊まった宿でしたよ。なかなか風情があって良かったです。
女将さんもざっくばらん(^^)
檜のお風呂には、男性専用と女性専用がある。他のお客様と一緒に風呂に入ることは無く順番で利用するので気兼ねなく入れた。岩魚とますの刺身は食事直前に旦那さんがさばいてくれた。踊り出しそうな刺身はシコシコで美味しかった。
隣の囲炉裏では談話が始まっていた。
大妻籠から中仙道を野尻宿の方に山越えをし、電車で戻ったグループ男性3人は兵庫県尼崎市の人達。
その中の一人が囲炉裏の傍らで始めた話がおもしろい。
私達が馬籠宿から途中で一緒になったご夫婦は横浜市金沢区であった。私達には懐かしい横浜市である。民宿のご主人も加わって話は盛り上がった。
カルフォニアから旅行中のご夫婦、奥様は今晩の日本食はむかないようである。口に合わない食事で、この一夜で、日本が嫌になったらどうしようと思うが自分にはなんとも出来ない。隣の席に座った若い男性が英語で話しかけてくれた。英語が堪能で良かった。この若い男性は仕事でアメリカに4年滞在したそうだ。外人さんと話す事が出来てよかった。中仙道を歩く事に趣味を持っているそうだ。群馬県安中市の杉並木も既に歩ったとのこと。埼玉県の人でした。
ほど良い時間になったのかな…? 沢山話をしたのでさて部屋に戻ろうと時計を見るとまだ19時30分
ゆったりと時が流れ、至福の時であった。

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