下北・津軽半島の旅 青森県

H21年 9月19日  出発
    9月20日  下北半島
   9月21日  津軽半島
    9月22日  八甲田山 
 (天候不良にて断念)
 黒石市帰路
第3日目 9月21日

 民宿北の宿AM7:38→R338あすなろライン→願掛岩8:03→仏ケ浦駐車帯 展望台
 より見学8:31 8:45→流汗台ゆとり駐車帯9:18 9:22→野猿公苑9:40 9:55→
 脇野沢港10:03 10:30カ-フェリ−乗船 10:50出発〜〜津軽半島 蟹田港11:55
 →十三湖12:20 12:36

 →五所川原市 芦野公園、津軽三味線会館・太宰治記念館斜陽館PM13:04
 (見学・昼食) 15:30→十二本やす15:50 16:00→立佞武多の館16:36 17:42
 ホテルサンルート青森18:45(泊)
 
                                   走行距離 173km
  表示: ⇒高速・有料道  → 一般道  〜〜カ-フェリ−

 風に吹かれて海の回廊ぐるり旅後半が始まった。民宿の女将さんに道路や見学場所を確認のため訪ねました。
ツア-コンダクタ-と自負したのですが、下北半島最後の見学予定地では誤差が生じてしまった。仏ヶ浦の見学をしてカーフェリーに乗る為に、10時10分までには脇野沢港に行き乗船手続きをしなくてはならなかった。
 仏ヶ浦は40分の見学時間を取った。とても時間がたらない事を女将さんから教えてもらう。ちょっとがっかりの私です。『展望台にて時間をかけて見学すれば楽しみもありますよ。』と慰めに近い言葉をもらった。
 
 同宿泊の茨城県の方はカーフェリーの予約をしていなくて乗船したいという。その後、不老ふ死温泉に行く予定なので、カーフェリーを利用したいという。予約が無くては絶対に乗船できないと知って非常にがっかりしていました。
 
 私は、その方よりはまだ救われる感じである。民宿を出発、途中、願掛岩を見学する。
目的の仏ヶ浦駐車帯に到着した。作日ほどの晴天ではないものの対岸まで見渡せる。右に津軽海峡、正面に平舘海峡を望む。奥に津軽富士、岩木山が見えた。
仏ヶ浦 平舘海峡越しに津軽半島  秀麗な岩木山
 【仏ヶ浦
 白緑色凝灰岩が約2kmに渡って連なる岩の数々。人智を超えた仏の領域。辺境の地・下北を代表する秘境であるが、佐井、脇野沢の港から遊覧船が出航。天工の美景を手軽に堪能することが出来る。<下北旅ガイドより>
 展望台から車道を脇野沢港方面に下ると、仏ヶ浦を見学する遊歩道がある。駐車場から海岸線までは標高100m下る。見学して登り上げれば40分ではとても無理であった。ちょっと救われるのは海岸線に下りても、岩の連なりの景観は、展望台の方が勝ることであった。

【野猿公苑】野猿公苑
昭和45年に天然記念物に指定されたニホンザルが約50匹飼育されている。
よっこらしょ! 脇野沢港 カフェリーかもしか号 蟹田港
 下北汽船株式会社かもしかフェリ−は、この時期、津軽半島へは一日に2便しかない。旅行計画途中に様子を聞くために電話した。遅くとも2週間前には予約をして下さいとの話であった。大間崎の宿がなかなか取れなくて2日に渡って2便を予約しておいて、後日宿が取れてからキャンセルをした。
 私が20代だった頃に修学旅行で、津軽半島から北海道に渡るカーフェリーに乗ったことがある。今回の乗船はそれ以来の事で、懐かしく船旅を1時間程楽しみました。

【津軽三味線会館】
 五所川原市にあるここはどうしても寄りたいと言う主人の希望であった。同時に私は隣接する太宰治記念館斜陽館を見学したかった。
 生ライブを聴く時間までの間、ビデオ上映によって、津軽三味線の歴史について学ぶことができた。津軽三味線の元祖といわれる仁太郎(にたぼう)秋元仁太郎は幼くして失明、両親を亡くし…、…新しく津軽三味線というジャンルを誕生させた。予備知識を入れる事によって、三味線の音色が物悲しく聴こえるのは、何故でしょうか?
十三湖と岩木山 津軽三味線ライブ
 激しく大胆に奏でられる「叩き奏法」哀愁漂う繊細な響きの「弾き奏法」の2種類がある。厳しい冬を吹き飛ばさんと奏でられる三味線は奥深い音色である。

【太宰治記念館斜陽館
 太宰治生誕100年にあたる今年、これを記念して【ヴィヨンの妻】の映画化。原作を旅行に出る前にもう一度読んでみた。映画は原作と多少異なる部分が出てくるのはいつもの事です。この映画は10月10日ロードショーですが、この地では9月26日に先駆けて、あるようです。
 斜陽館は国指定重要文化財に指定されて、記念館として開放されている。
【ヴィヨン】高い学歴を持ちながら悪事に加わり、逃亡・入獄・放浪の生活を送ったフランスの中世末期の近代詩先駆者フランソワ・ヴィヨンのこと。
 無頼で放蕩な人の例えとして使われる。
太宰治記念館斜陽館 映画パンフレット

 明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)が建築した入母屋作りのこの建物で、明治40年6月に落成する。米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使い、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の豪邸です。太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もない
ただ大きいのである」と書いている。<入館パンフレットより>

 館内に大勢の人が見学していても、頑強に立つその家はギシッと音も立てない。大富豪の持ち物という要素がそこここにある。
 家の落成が6月、太宰治が生を受けたのが6月、若くして亡くなったのが6月、因縁の6月と思えます。
太宰治記念館斜陽館


十二本やす

黄金色の稲と岩木山
立佞武多の館
今日の見学最後はねぶた館です。
以前に見た青森ねぶた、弘前ねぷた、そして今日、五所川原立佞武多をみてこれで青森のねぶた館は全て見た事になります。祭りの運行は観ていません。
五所川原のねぶたは圧倒する巨大なねぶたです。高さ18〜20mあり、4階まで一気にエレベータで登って頭の部分から順次下がって見物してきます。館内には3台のねぶたが常設してあります。
毎年一台が作られて3台が祭りの夜を華々しく賑わすようです。
 【十二本やす】
 三味線会館入り口に展示してあった大型写真に主人が魅せられて、突然見学する事になった。車で移動→林道を進み、舗装の無くなった悪ロードを進み「熊出没、○月○日」なんていう看板が2ヶ所ある山道を、…畑道を進みました。
 数台しか止められない駐車場に着いた時は山の中、薄暗くて、リュックから熊鈴とラジオを持ち暗がりの山道を50m程を登り上げた所にありました。 蚊はいるし、人っ子一人いない場所に、ドデーンと巨木が立っていました。地上からは一本、その上に12本の樹があります。13本あるそうですが、1本づつ枯れて、常時12本だそうです。
 「早々と立ち去った場所」と言うのは私の言葉であって、満足してその場を後にしたなら田園風景に突入です。岩木山が曇りの空に美しい姿を見せていました。車を止めて写真を撮りました。

 今日は青森市街地のホテル泊まりです。どうもお天気が下り坂でよくありません。時々、お天気情報を聴くのですが…。
 明日大丈夫かな〜。

    Nex H21.9.20下北半島 H21.9.22黒石市  
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