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金剛峯寺/奥ノ院

平成25年 11月18日(月) 

午前  室戸岬へんろセンターAM6:50出発→室戸岬展望台7:00→27番札所 神峯寺8:04 8:43→28番札所 大日寺9:42 9:58
 →29番札所 国分寺10:26 11:05→30番札所 善楽寺11:14 11:34→32番札所 禅師峰寺12:10 12:34

午後  →かつお船(昼食)12:45 13:30→33番札所 雪蹊寺13:36 13:45→36番札所 青龍寺14:10 14:45→土佐IC⇒(土佐道)⇒
 須崎IC→あぐり道の駅15:33 15:53→37番札所 岩本寺16:00 16:20→ホテルクランヒルズ中村18:15 泊
   ※記号  ⇒高速道  →一般道   …歩き  走行数 242.3km  一日の歩数 11,627歩

土佐(高知県)の札所  修行の道場
札所 寺院名   
     6:50 四つ星マークの遍路宿にて目覚めた。一番早い朝食は、6時30分より用意してくれるのでお願いをした。美味しく頂き早めのスタートする。展望台から朝陽が昇るのを見たい一心も手伝っていた。昨晩ご一緒だった若夫婦は、私達より過密スケジュールのご様子で、すでに食事をとらずに出発しました。
 室戸岬高岡園地の津呂山山頂から水平線に昇る太陽を見る。素晴らしい光景であった。






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神峯寺
(こうみねじ)

8:04 標高600mの山中にある神峯寺は車でも身が引き締まるような細い道を登る。26番札所金剛頂寺でお会いした85才位の親とその息子さんと思われる方が境内前の駐車場に止めずその手前に止めて勾配のきつい山道を登っていらっしゃいます。
土佐湾を見下ろす
 「お疲れ様です。立派ですね〜。」思わずお声掛けをしました。そのご老人の笑顔はまるで弘法大師様か?と思われるようであった。親子二人遍路の幸せを噛みしめているとも思えた(私の勝手な想像です)。仁王門をくぐった後も長い石段を登る。本堂をお参りして、その先をまた登って太子堂です。

28
  
 大日寺
    9:42 日本三大鍾乳洞の一つ龍河洞の近くにある。境内の一部は苔がびっしりと茂っていた。まるで京都の寺院のようであった。手入れをされる方の話では、南国でこれ程の苔の生育は珍しいという。桔梗が一輪咲いていた。
 どの札所においてもこのように庭の手入れをする専門の方がいらっしゃる。早朝から夕方まで一職員としてお寺にて作業をしているようです。
 
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11
国分寺  10:26 田園地帯の中にあるお寺さん。15番札所の国分寺と同じ名前である。禁酒したい人に御利益があるとされる酒断地蔵尊がある。我隊長はお参りしませんでした。私はよ〜く手をあ・わ・せ・ました(秘密!)
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 善楽寺  11:42 高知道の高知IC近くにある。ここまで来て「世界文化遺産に」()の標識を多く見るようになった。



 
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禅師峰寺(ぜんじぶじ)  12:10 弘法大師は、海の安全を祈りつつ十一面観世音菩薩を刻み本尊としたという。土佐湾が一望できる高台にある。潮の干満岩()が境内を作っている。

    12:45 かつお船にて昼食をした。ここはH23.5.1に一度寄っている。時間さえ合えば藁焼きタタキを体験できるが今回は観光と言うよりお遍路なので、お腹を満腹にさせる事にとどめた。  
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雪蹊寺 桂浜の沿岸を走り長閑な景色にうっとりとする。

13:36 慶運寺と称された時もあったようだ。桂浜花街道の近くにある。眼病平癒の寺として有名です。海岸ではサーフィンをしていた。
 
 
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青龍寺
(しょうりゅうじ)
    14:10 弘法大師が留学した唐の青龍寺に模した寺、帰国し建てようと「約束の地に飛んで行け」と独鈷を投げたそう。それが刺さった地と言う。
 石段が古の地に誘うような風情がある。
 
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岩本寺      
16:00 岩本寺の弘法大師にまつわる七不思議は全て周辺に棲息する動植物である。  本堂の天井絵はS53年に建立された。575枚の絵は全国の有志が描いたもの。仏様やマリリン・モンローなどの様々な画題と手法である。

   高知県の札所はH23年の時に回っている所が多く、今回は素通りをしました。通り抜けをしながらもその寺々の思い出は、はっきりと甦った。眩いばかりの新緑の竹林寺境内、雨の35番札所清滝寺、狭い道路の為に寄付金を募っていたが2年後の今年はどうなったのか気になった。八十八ヶ所も巡ったなら一ヶ所位は忘れてしまうものかと不安にもなった時があった。しかし、その地に立ち巡拝を続けていると記憶は甦るものでした。

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